私たちが目指すもの

「道」1950年 東山魁夷



 研究とは、誰も知らないことであり、かつ、自分以外の誰かが驚く・喜ぶものであると考えます。 もう既に誰かがやったことをやっても、それは、ただの練習問題を解くということだし、自分だ けしか驚けない・喜べないものは、稀にある超革新的なものを除けば、単なる自己満足に過ぎません。

 私たちの研究室は、このように定義される研究をやります。それは、学部生の卒業論文であろうと 教員の生業であろうと、区別はありません。学生が、将来、職業研究者になろうと役人になろうと、 全く私たちの研究分野に関係ない職種に就こうと、私たちの研究室では、研究をやります。

 逆に言えば、卒業後、研究者になるわけではない、とか、私たちの研究分野に関係のない職種に就く、 とかの理由で、卒業論文や修士論文の研究活動が軽いものになることは、私たちの研究室では絶対にありません。

 「今、この瞬間、この真実を知っているのは、世界で自分だけだ」という感動と興奮、もちろん程度の差は あります、が、私たちの研究室に所属する全ての学生に、この感動と興奮を味わってもらいたいと願っています。 どんな分野に行こうとも、このような感動と興奮、そしてこの感動と興奮のために費やした努力は、学生諸氏の 人生の糧になると信じます。

 具体的な話をしましょう。私たちの研究室では、卒業後に砂防関係の公務員や企業技術者になる学生を育成する ことも大事な責務であると捉えています。我が国は、山地が多い、火山が多い、雨が多い、定期的に台風がやって 来る、などなど数えきれないほどの環境的に災害に見舞われやすい要因を抱えています。古来より、そんな国土を 守ってきたのは健全な森林の存在でした。そして、これは、このような言い方にも変わるでしょう:「我が国には、 森林を守り育てる仕事に従事する人間が必要である」と。そして、そんな人間には、事に臨んで正しい判断を下せ るよう、正しく科学リテラシーを身に着けて欲しい。だから、そんな仕事に就こうとする学生にこそ、しっかりし た研究の経験を積んで欲しいのです。

 さて、確かに、研究とは創造です。勉強ができるからといって創造性があるわけではないし、良い研究ができる わけではありません。しかし、創造は基本の組み合わせであることを忘れてはいけません。つまり、過去のあらゆ る事物を勉強し、それらを取捨選択し、組み合わせ、新たなものを創造していくのです。まさに、「巨人の肩に乗 る」のです。

 創造だから基礎学力は必要無いというのは、間違いです。研究に勉強は絶対に必要です。私たちの研究室では、 学部3年生で研究室に配属された瞬間から、辛く厳しい基礎科学(主に、数学、物理学、生物学)の勉強が始まり ます。もう一度、言います。基礎学力無しで研究は不可能です。私たちの研究室で必要な学力を得るための教材 についての情報は、ここに示してあります。

 ここまでで、お分かりいただけると思いますが、私たちの研究室には、生半可な気持ちで参加することはお奨め できません。研究指導は懇切丁寧である自信がありますが、過酷であるとも言えるでしょう。確実に世界に通用す る研究成果を挙げさせてあげる自信もありますが、それは、やはり学生の自分からの強い探究心があってこそです。 私たちの研究室では、適当な気持ち・仕事量で行われた研究成果を認めることは決してありません。

 しかし、一旦、道を志して私たちの研究室に参加してきたなら、私たちは、世界を獲るべく、常にあなたと共に あります。そして、私たちの研究室は、“科学者の楽園”でありたいと常に願っています。

ミチノタメキタレ(楠正位)


2017年7月28日
熊谷 朝臣 記

私たちの研究室で卒業論文/修士論文/博士論文を書くためには